熊本オトナ図鑑
多様な視点とつながる
熊本のとあるオトナのストーリー。
これまでのこと、これからのこと、生き方や仕事論などを伺っていきます。
今回、お話を伺ったのは、税理士の井上英一さんです。
広告業界から税理士へ
司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を読んで、坂本龍馬に憧れていました。高校時代に進路を考えるとき、龍馬は海外に飛び出したいということだったので、それなら自分は外交官かなと思って。
それで上京して、学習院大学に進まれたんですよね。
外交官が多い大学を調べたら、当時は東大、京大、早慶などの次が学習院だったんです。
でも入学してみると、目標も変わっていって。大学のときは、体育会の合気道部に入っていて、勉強よりも合気道に打ち込むという感じでした。
就職活動では、バブル全盛の時代ということもあり、周りの友達は、みんな一流と言われる大企業に入ったんですけど。
僕は少し変わっていて。あまり、そういうところには行きたくなかった。
それよりも、海外志向が強かった。
いや、どちらかと言うと、おもしろ志向。
就職活動をする3年生のときに本屋で、ジャック・セゲラというフランスの広告会社の社長さんの自叙伝のような本と出会って。
『広告に恋した男』という本なんですけど。
それに感動して、広告の仕事がやりたいと、広告会社に就職しました。
広告の仕事というのは、広告の代理店ですか。それとも制作会社みたいなところですか。
最初は代理店の営業職でした。配属先も良くて、恵まれていたんですが。
自分としては、広告を作る方が面白そうだったので、制作をやってみたいと思っていて。
あるとき、CM制作の会社から誘いがあったので、制作側に移っていきました。
そして「PM」という、プロダクション・マネージャーの仕事をやっていました。
バブル時代の広告業界は、派手なイメージがありますが。
いや全然、下積みです。遊びに行く暇もないし。
ずっと寝る時間もないぐらいに、忙しくしていました。
そうしたら、実家の天草で母親が税理士をしていて。当初は妹が継ぐ予定だったんですけど、事情が変わって。後継者がいないので、どうかという話になったんです。
家業を継ぐとは言え、そこから勉強して税理士になるというのも、なかなかの決心が必要かと思いますが。そこは責任感みたいなものも強かったのでしょうか。
責任感があったのは、間違いないですけど。
「虚業」と「実業」という言葉があって。
自分のやっていることが、虚業という感じがしたんです。
日本で一番有名な広告賞を受賞しているディレクターが「結局、俺たち、何も残らないしなぁ。」という風に言われているのを耳にして。それが心に引っかかっていて。
もっと人のためになるような、堅実な仕事をやってみたいと思ったんです。
それで税理士になろうと。
そして、熊本に戻られて、ご実家の税理士業を継がれることになるんですか。
税理士の資格は、2003年に取ったのですが、そのあとに法科大学院に行くことになったので、継ぐという形にはなりませんでした。
税理士を取られて、弁護士も目指された。
会社法や民法など、知らないとできないことがあるので、その領域の専門家になるために、法律を勉強したいなと。
でも結局は、法科大学院を卒業して、受験資格のある5年間、精一杯努力をしたのですが、司法試験に受かることはできませんでした。
それから熊本に戻られたのは、何かタイミングがあったんですか。
きっかけは、2011年の東日本大震災ですね。
あのときは、色んな情報があって、周りからも色んな話を聞いて。
しばらくは、東京にいたんですが。
結局は、経済的なことよりも、人生ゆっくり、楽しく生きられたら良いねという話に、嫁さんとなって。
嫁さんも熊本の人間だったので、熊本に帰ろうかと。
そして熊本に戻ってからは、会計事務所での勤務を経て、2013年に熊本市で事務所を開業しました。
税理士とファンドレイザー
一口に税理士と言っても、それぞれ得意とする領域があるかと思いますが。井上事務所では、どういった相談が多いのでしょうか。
最近、多いのは建設業の方ですね。
熊本地震以降、急に仕事が増えて、なかなか経理にまで手が回らず、お困りの方からの相談が増えています。
あとは、僕が「ファンドレイザー」という民間の資格を取って、勉強しているので。助成金をもらって活動するNPOや任意団体のお手伝いもしています。
特に熊本地震以降は、社会的課題に取り組む色んな活動が生まれているようですが。具体的には、どういう携わり方になるんですか。
ファンドレイザーがいるということは、助成金の審査で有利に働くこともあるので。
会計をお手伝いして、色んなアドバイスをしたり。余裕があったら、実際に自分も活動に参加したり。
あとは、NPOの中間支援組織があって、そこで助成金をもらった団体に、会計のことで分からないことがあれば、相談を受けるということもやっています。
税理士さんが積極的に公益的な活動の支援をするというのは、あまりイメージにないと言うか。珍しいケースに感じるのですが。
NPOのような色んな活動をしている方に話を聞くと、自腹でやっているような方が多いんですね。
そこを、何か、お金が稼げるようにできないかなと。
税理士は、その領域にいると思うんですよ。
上手にお金が回るような仕組みにするお手伝いと考えると、税理士の知見が活きそうですね。
そういう形に設計できれば、活動の継続にもつながってきますし、本当に良いなと思いますね。
そして、税理士というのが、ITなどの技術の進化で、半分ぐらいは自動でできるようになってきているんです。
そのお陰で、税理士一人でも仕事ができるようになっているんですけど。
そうなってくると、税理士の仕事の質は、全く違うものになってくるから。それに合わせて、自分も動いていかないといけないと思うんです。
AIの話では、なくなる仕事の筆頭で、税理士や会計士は挙がっていますもんね。
そこで、どういう付加価値が残っていくか。それを模索しているところもありますね。
そこで色んな選択肢を考える上で、判断の基準となるものは何なのでしょうか。
自分が「面白い」と感じるかどうかを基準に、動いていますね。
それは、どういうことを「面白い」と感じる傾向にあるのでしょうね。そのツボと言うか。
そこのポイントは。
多分ですね、CMを作っていたとき。
そのときのスタッフの方は、みんな一流の方なんですよ。
一流のカメラマンが、一流のライトマンを呼んで。その人がまた別の一流の人にお願いして。
そうやって、それぞれの道で一流の人たちが、それぞれの役割を果たして、作業をやっていく。
その一流の人が集まって、やっていくときの緊張感。
そういうのが楽しいんですよね。
なんか、オーケストラみたいな感じですね。
そうです。
今、何となく考えているのは、もう一つ、全然違う仕事をやっても良いのかなと。
税理士はベースに置きつつ、全く違う仕事を。
税理士の枠にあまり囚われずに、ということでしょうか。
まだ漠然としているんですけど。
色んな専門家の方と協力して、色んな組み合わせをしながら、一緒に大きくなっていければ良いなと思っています。
今回の震災がきっかけで、せっかく色んな活動が生まれて、色んな人がつながっているからですね。
それが時間の経過とともに消えていくのは、もったいないですよね。
そうなんですよね。
熊本地震がなかったら、一生、知り合わなかった人も多いと思うんです。
色んな社会的な活動をやっている人たちは、羨ましいなと思っていたけど。自分は、そういうつながりが全くなかったので。
今こうして、つながっている関係をなくすのは、非常にもったいないと思う。
だから、何か活動を継続しながら、地震があったことをプラスにできるように。
あのときは辛かったけど、今はこうやって良くなったよねと、言えるように。
これからも動いていきたいと思います。
井上英一税理士事務所