目次
富岡城跡のうんちく
○ 富岡城は、関ヶ原の戦いの後に天草の領主となった寺沢広高によって、1602年頃から築かれた。
○ 朝鮮出兵の際に、朝鮮の城郭から学んだ築城技術が活かされたと考えられている。
○ 1637年の天草島原の乱で、一揆軍から総攻撃を受けた激戦地。守る3,000の兵に対し、10,000の一揆軍が城を取り囲んだが、難攻不落の富岡城の守りは固く、攻め落とせなかった。
○ 島原の乱の後、山崎家治の領地となり、大規模な修築と拡張を行い、現在の富岡城の形ができた。
○ 1670年の「戸田の破城」で城は壊され、現在は櫓や白塀などが復元されている。
富岡城跡の見どころ
二の丸石垣
・ 復元整備のときに、三重の石垣が発掘された。
・ 奥に、天草島原の乱の攻防戦の跡が残る石垣。その手前には、攻防戦の跡が残る石垣を隠すため急造されたと考えられる封印石垣。一番手前には、島原の乱の後に修築された石垣。
本丸
・ 難攻不落の富岡城。本丸までは、少し登らないと辿り着けない。
・ 本丸の入り口の門と櫓。
・ 本丸には、富岡ビジターセンターがある。天草の自然や生物についての展示がある入場無料の施設。
・富岡ビジターセンターは水曜日が休館日。
二の丸
・ 二の丸には、苓北町歴史資料館がある。こちらは有料で、大人300円、小中学生100円の入館料。
・ 歴史資料館の休館日は木曜日。
・ 二の丸の広場では、立派な銅像たちが海を眺めている。
・ 後方の「天草の恩人」の台座には、天草島原の乱後の荒廃した天草の復興に尽力した鈴木重成、鈴木正三の像。
・ 鈴木重成は天草への重税を減らすため、石高半減を幕府に嘆願して、切腹した天草の初代代官。
・ 前方の「日本の恩人」の台座には、勝海舟と頼山陽の像。
出丸
・ 二の丸の先の出丸にはベンチがあり、ちょっとした芝生の公園のようになっている。
稲荷神社
・ 二の丸の下には稲荷神社がある。
トイレ、休憩場所、自販機
・ トイレは、駐車場や本丸の富岡ビジターセンター内などにある。
・ 本丸にある櫓は休憩スペースになっていて、自販機も設置してある。
・ 駐車場には、売店もあるようだった。
富岡城跡の眺め
難攻不落の眺望
・ 富岡城は、自然の地形を活かした難攻不落の要塞ということで、高台にあり、眺めが最高。
・ ちょっと函館山からの風景っぽい。やや函館感のある苓北のくびれた地形。
富岡城跡の場所
アクセス
・ 天草郡苓北町富岡(Googleマップ)
・ 道は広いわけではないが、離合が難しいほど狭いわけではない普通の田舎道。
駐車場
・ 駐車場は複数ある。駐車料金はいずれも無料。
・ 二の丸近くの駐車場。収容台数は数十台程度で、大型バス用の駐車スポットもあった。
・ 富岡城公園案内図には載っていないが、遊歩道を少し上ったところにも、駐車場がある。
富岡城跡の感想
天草の函館山
富岡城跡は晴天の朝に行くと、櫓や塀の白が美しく、そこから見える海は輝いていて、とても清々しく気持ちの良い場所です。
本丸から富岡湾のほうを眺めると、くびれた砂州の感じが函館山からの風景を連想させます。
砂州なので、どちらかと言うと、天橋立かもしれませんね。
まあ、函館と天橋立を足して割ったような風景が、そこにはあります。
二の丸にある銅像も、朝日を見て「日本の夜明けぜよ」と言っていそうな感じで、とても映えていました。
苓北町で朝日を見に行くなら、この富岡城跡ではないでしょうか。
少し歩いて登らないと行けませんが、オススメの苓北町の絶景スポットです。