コラム インタビュー

水俣食べる通信 諸橋賢一インタビュー

熊本者(くまもとモン)GO


ごく普通の人からちょっと変わった人まで、色んな熊本者にお話を伺っていきます。

そのテーマは「熱」。
情熱を注いでいること、目標に向けて努力していること、今ハマっていることなど、自由に語っていただきます。

「水俣食べる通信」諸橋さん

(くまもとモンNo.3)

諸橋 賢一

水俣市

「水俣食べる通信」編集長

東日本大震災で変わった価値観


学生時代から農業に興味があったんですか。

学生時代が、地球温暖化とか、砂漠化とか、地球環境の勉強が盛んになり始めた頃だったんですよね。

それで入った大学が東京農大の国際農業開発学科といって、JICAとか海外のNGOで働きたい人が集まるようなところでした。

環境問題から国際協力の勉強に関心を持ったと。

はい。途上国の支援が多いので、途上国にある資材で農業ができるように、化学肥料や化学農薬に頼らないオーガニックの農業を勉強しました。

初めは海外志向でしたが、国内での実習を重ねるうちに日本の農業でもやれることがあるなと感じるようになって。でも海外の実習も考えていたので、自分の考えを確かめるためにも、大学3年の夏休みに実習でドミニカ共和国に40日間行きました。

その結果、「まずは日本で役に立って、海外に出るなら、それからなんじゃないか」という結論に至りました。

そして大学時代はオーガニックの勉強をしていたんですけど、日本で流通している食べ物を考えると、99%が農薬を使っているわけで。日本の農業のために何かしたいと思っているなら、農薬のことも知っておかないとと思って、農薬メーカーに就職しました。

農薬メーカーはどれくらい、いらしたんですか。

12年です。営業で北海道に5年、福岡に2年。5年は製品開発で茨城の研究所に勤めました。

そして、2011年。茨城にいるときに東日本大震災を経験しました。

そのときに、「違ったな」と思ったんです。

それまでは土日も会社で働いて、大きな産地に貢献することが日本の農業の役に立っていると思っていたんですけど、3.11があったときに「逆だ」と思ったんですよ。

まず社会があって、地域があって、会社だったりとか仕事があるんじゃないかなと。

考え方、優先順位みたいなのが逆だと。

それで地震のときにすごい後悔したんですよ。それを取り戻したいというのもあって、まず被災地に行ってみようと。自分のやれることをしようと思いました。

それから平日は仕事をして、金曜の夜から車で東北に向かって、土日は被災地でボランティアをして、また帰ってくるという生活をしていました。

そこでの経験や出会いが、すごく今につながっていると思います。

※諸橋さんの東北の被災地での経験は、熊本の復興に向けても含蓄のあるお話でしたので、「東北復興支援活動の経験談」として別記事にまとめました(最後にリンクがあります)。

町おこし団体「あばぁこんね」から水俣を知る


そして茨城のあとが熊本になるんですか。

福岡ですね。福岡営業所で熊本県担当だったんです。

それで、水俣に大学時代の友人がいたので、遊びに行っていて。その友人が『あばぁこんね』という町おこしの有志団体で活動していて。

「あばぁこんね」。どういう意味なんですか。

水俣の方言で、「いいから、来なよ」みたいな意味なんですけど。

それを友人がやっていて、イベントとかやるときにお手伝いして、一緒に遊んでいたら楽しかったんですよね。その活動が面白いなと思って。

それから少しずつ水俣のことを知っていって。

もともと環境問題とか勉強されていたので、そういうことで水俣につながっていったのかと思っていました。

そんなゴリゴリで行ったわけじゃないんです。土地を知ってから、水俣病のことを詳しく知っていったという感じで。それが良かったと思っています。

福島の原発の問題で、東京出身ですが、事故があって初めて、自分たちが福島の電気を使っていたと知ったんですよね。

何となく「原発って、嫌だな」と思いながら、向き合おうとしなかった。その自分の無関心みたいなものも、あの事故を引き起こした原因の1つなんだろうなと。

そういう後悔、福島に何かしなきゃみたいな想いがずっとあったんです。どこかのタイミングでと思っていたときに、水俣に来て水俣病のことを詳しく知って。

同じ構図で、福島の事故も繰り返されていると思ったんです。結局、経済と命を天秤にかけて、経済を優先してきたわけですよね。

そうしたら、福島も同じことを繰り返しているのであれば、今の水俣は未来の福島なのではないかと思ったんです。だから今の水俣が良くなれば、未来の福島もそうなるんじゃないかと。

水俣を良くできたら、それが福島にも活かせるんじゃないかと。

つながると思います。

それで、水俣に身を置いて地域づくりとかをやることが、自分の中の新しい答えだったり、本質に行き着くことなんじゃないかと思って。

それで水俣に移住したのが、ここ数年ですか。

2015年の1月ですね。

「水俣食べる」と言いたかった


食べる通信は、どこから出てくるんですか。

そもそも、農薬メーカーで働いているときに感じていたことがあって。

昔と比べて、技術の進化で安く安定的に食べ物を供給できるようになったけど、効率優先の流通には、作る人の想いとかを乗せるのは難しいのかなと思っていて。

「農業」って、「農」というのがあって、その中でお金に変えられる部分が「農業」なんですね。だから、今の「農業」は、食べ物を安定的に作るということに価値があるけれども、「農」の価値としては、実はもっと沢山あると思うんです。

農業と共に生きるというのは、すごく楽しいし、豊かな感じなんですよね。

なるほど、金銭的価値は全体の「農」の価値で考えると、一部分でしかないと。

例えば、北海道で出会った農家さんは早朝から夜遅くまで、すごい働くんですよ。

なぜ、そんな働くのかと聞いたら、「太陽さんには、最後は敵わない」と仰るんですね。「でも、そこで仕方がないと思えるために、やれる努力をするんだ」と。

圧倒的に自分じゃ敵わない自然の中で、一生懸命、生きるという生きざま、価値観。それに触れることが自分の豊かさにつながっていると思うときに、同じ日本に住んでいるのに、それが食べる人に伝わっていない。

それが、モッタイナイと。

はい。それを食べる人にも感じてもらうには、既存の流通では難しいから、それが伝わるような仕組み、それを届ける別の流通を作ったら良いのだろうなと。それで農薬の業界から離れる決心をしました。

その仕組みが、食べる通信なんですね。

食べる通信は、生産者と消費者をつなぐことを目的とした食べ物付きの情報誌で、2013年に東北から始まり全国36地域に拡がっています。

実は『東北食べる通信』を始めた高橋博之さんとは、東北の被災地支援活動の中で出会っていて、食べる通信が始まったのをFacebookで知って、自分も読者になっていたんです。良い取り組みだなと思っていて。

水俣に来たときに、それが全部つながったんですね。

そうです。自分も旗を一緒に掲げてやってみようと。

「熊本」じゃなくて、『「水俣」食べる通信』にしたのは、どういった想いからですか。

「水俣食べる」と言いたかったんです。

「水俣、食べれない」というイメージをまだ持っている人がいるじゃないですか。

2014年12月に水俣で漁師市というのが始まったんですけど。漁師さんたちは、水俣の人が水俣の魚を食べてくれるのか不安だったそうなんです。

実際は行列ができて大盛況だったんですけど。漁師さんたちは、それを見て、「水俣の魚を喜んで食べてもらえる時代になったんだ」と認識したらしいんです。それぐらいなんですよ。

だから、「水俣を食べる」というのを堂々と言うことが、水俣の生産者が自信を持って前に進むために、すごく大事だと思ったんです。

水俣食べる通信

『水俣食べる通信』をキッカケに


今後、食べる通信でどういったことを実現していきたいですか。

創刊前は水俣の外の人に水俣のことを届けたいと思っていたんですけど、始めてみたら水俣の人に読んでもらいたいと思うようになりました。

食べる通信がキッカケで、まず水俣の人が水俣の豊かさを感じて、水俣で生活して楽しいと感じるようになって。それが外に漏れていって「水俣、面白そうだなあ」と、人が集まってくるほうが正常だなと思ったんです。

地元の人のほうが、地元の良さに気付きにくかったりするからですね。

そうかもしれないですね。生産者のことを知っていも、その想いまでは知らないことが多いように思います。

特に、水俣は苦しい時代があって、食で苦しんでいる時代に、食を守り続けてきた人がいるんですよ。

それを乗り越えて、今があるわけですよね。

そう、その中に色んな葛藤があるから、それを知ることがすごく大事だし、そのときの必死さだったりとか、すごく尊いし。

そんな生きざまに「いいね!」を押してあげたいんです。

生産者と消費者をつなぐ取り組みは、地域づくりの側面もありますよね。

今年の春に、漁師さんの作業小屋があるんですけど、そこに集まってもらって、船上から花見をしたんですよ。水俣湾の海岸部に桜が咲いているので。

海上お花見

それで作業小屋を牡蠣小屋みたいにして、花見をしたあとに戻ってきて、そこで生産者の話を聞きながら水俣の牡蠣を食べるというイベントをしたんです。

結局、食べる通信は道具でキッカケなんですよ。

そうやってリアルイベントにつながるのは良いですね。地元じゃない人は、友達でもいない限り、なかなか行く理由がないんですよね。

そう、東北のときもそうでしたけど、友達を作るほうが早いんですよ。

美味しい食べ物とか綺麗な景色とか、消費したら次はどこの景色を見に行こうとなるんですけど、そこに友達ができたら、その人に会いに行こうとなりますよね。

それで、その地域の深いところを知っていったりして。それが本当の交流人口につながると思うんですよ。

今は個人で食べる通信をやっているので、生産者と消費者、地域の人をつなぐイベントだったり、そんな活動を一緒に盛り上げてくれる人の輪が、これから広がっていったら良いなと思います。

効率性とか便利さを求めるなら、田舎より都会に行ったほうが良いと思います。その土地で採れた食べ物が食卓に並んで、地域の人たちと共有できることが「水俣に住んでいてよかった」と感じられる瞬間なんだと思います。そういう時間を水俣食べる通信で増やしていきたいですね。

水俣朝食会

水俣食べる通信

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※記事のお写真はすべて諸橋さんよりご提供いただきました。

クラクラ佐藤
(レベル7)

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