コラム インタビュー

ナレーター、アロマセラピスト 杉本幸智世インタビュー

ル・ボヌール 杉本幸智世 さん

クラクラ ×  jenne


女性の就活から終活までの”輝き支援”を展開する「jenne (ジェンヌ)」。
そこでつながり、互いにエンカレッジし合いながら、熊本で様々な活動に挑戦されている方々を紹介していきます。

今回はボイス&アロマ Le Bonheur(ル・ボヌール)代表の杉本幸智世さんにお話を伺いました。

紆余曲折も掴んだ「声の仕事」


小学生のときにアニメファンになって、ずっと声優さんに憧れていて、よく友達と一緒にその真似ごとをやっていました。

最初は声優さんから入ったんですね。

そうです。でも、高校生ぐらいになってくると、声優という仕事が現実的ではないというのが分かってきたんです。

そんなときに、社会の授業で先生が「女性と男性の差別がない職業の中に、教師があるし、アナウンサーもそうだよね」と、何気なく仰って。

そこから夢がアナウンサーにシフトしていったんです。それが高校1年の終わりで、高校2年になって放送部に入って、毎年夏に開催されていた「NHK放送コンテスト」で全国大会に行くことが目標になりました。

放送部で全国に行くって、どういう練習するんですか。

アナウンス部門と朗読部門があって、アナウンス部門は自分で1分半ぐらいの原稿を書くんです。その内容も含めてアナウンス力を競います。朗読部門は課題図書があって、その中から1分半で読める部分を自分で抜粋して、その1分半で競っていく。

それで、めちゃめちゃ練習して、3年生のときに朗読部門で全国大会に進み、全国大会の予選を通過して準決勝まで行ったんですね。何百人かいる中から、75人まで選ばれて。

へー、すごい。

決勝の10人には選ばれなかったんですけど、それが自分の中ですごく自信につながって。アナウンサーになりたいと強く思うようになりました。

私が通った大学には放送部があったので、地元の局アナの方やタレントさんにアナウンスレッスンをしてもらう機会に恵まれたり、当時、熊本では大手だった制作会社でアルバイトをして、テレビ番組のADをしたりしていました。

そして4年生になったら就職活動で、テレビ局を受けたんですが、なかなか難しい世界でした。

やはり東京から順に受けていくんですか。

いえ、私は九州の放送局のみでした。でも結局は、学生の頃にアルバイトでお世話になっていた制作会社に就職することにしたんです。

その選択は、なぜだったんですか。

どこよりも早く内定をいただいたというのもありますが、働いている人たちがそれぞれに生き生きとしていて、楽しそうだな、と感じたからです。

製作会社ではどういった仕事をされていたんですか。

最初はラジオ番組や録音スタジオのADとして、裏方の仕事をしていました。

会社の方は、私が喋り手をやりたいというのを知ってくれていて、「やりたい気持ちを全面に出さないと、俺たちは認めないよ」という感じだったので、これ見よがしに上司の目の前で練習してアピールしていました(笑)

そうしたら、少しずつCMで使ってもらえるようになって、ナレーターとしてデビューさせてもらいました。

そのうち、ラジオ番組を担当させてもらえることにもなって、生放送のパーソナリティをしながら、他のラジオ番組ではディレクターもして。裏も表もやって、本当に忙しくさせていただいていました。

それを4年間続けて。そろそろ独立したほうが、自分のやりたいことができるかなと思って、思い切って会社を辞めました。

その結果、正解だったんですか。

正解でした。CMのナレーションの仕事もとても多く、ラジオ番組のレギュラーも数本あり、辞めて3年間はとても充実していました。

会社にいたころは自由な時間がほとんどなかったので、友達と会うことも難しかったんですが、フリーになってからは、生放送以外は自分でスケジューリングできるので、プライベートも楽しく過ごしていました。

そして、辞めた理由の1つに留学をしたいということがあったんです。1年ぐらい海外で暮らしたい。英語ができるようになりたいという夢があって。

フリーになって頑張ってお金を貯めて、28歳の冬、持っていた番組を全て辞めて、カナダに留学しました。

それは勇気がいる決断ですね。

はい、みんなに止められました。でも、どうしても20代のうちに行ってみたかったんです。

1年間ですか。

約10ヵ月ですね。カナダでは、語学学校と並行してアロマのスクールにも通って、それが今につながっている部分もありますし、カナダでの経験は私の貴重な宝物です。

そして帰国されて、また喋りの仕事に戻られるわけですか。

帰国後はナレーションの仕事と並行して1年ぐらい子ども英会話の先生をしていました。

でもやはりラジオ番組がやりたいな、と思っていた時に、福岡と佐賀の放送局で番組をさせてもらえることになって。この頃は福岡に部屋を借り、週末は結婚式の司会の仕事を熊本でするという働き方をしていました。

そして数年後、持っていたレギュラー番組が全て終わってしまったんです。フリーランスとして生きていくことの限界を感じたのがこの時でした。

そこで一旦実家に帰り、ずっと学びを続けていたアロマを仕事にしようと考え、実家から通えるアロマのショップに就職。

1年ほどそこで働いた後、自分でサロンを出そうと退職したんですが、なんとそのタイミングで、福岡の放送局から1年契約で番組をやってみないかという話が舞い込みました。

「もうラジオの仕事をすることはないだろうな」と思っていたのに。

でも必要としてくれるなら全力を尽くしたいと、再度、福岡行きを決意しました。

実はこの1年の間に、アロマとハーブの資格を取得したんです。1年契約というのは決まっていたので、今度こそアロマの仕事を本格的にと考えていました。

それで熊本に戻られて。

はい、熊本に帰って、自宅でサロンをやろうと思って部屋を借りました。「Le Bonheur(ル・ボヌール)」という名前でサロンを始めましたが、最近は、出張ワークショップがメインになってきました。

そしてやっぱりナレーションや司会の仕事も続けていて、福岡でラジオ番組の出演と制作もやっています。

ほんと、何屋さん?って感じですよね。

「伝わる声」で伝えていきたい


学生時代、同じ放送部だった人で、同じような喋りの仕事をしている方はいらっしゃるんですか。

1人いますね。

何十人かいたうちの2人ですよね、杉本さんも含めると。

2、30人ぐらいですかね。

それだけ喋りの仕事は狭き門なのかなと思うのですが、それを仕事にしていくというのは、何が大事だったのでしょうね。

やはり想いの強さだと思います。それと、人とのつながりだと思いますね。

想いの強さが人を呼んで、その人に引っ張っていってもらったんですね。就職にしろ、オーディションにしろ、全部、人からの紹介なんですよ。福岡に行くときも人に紹介してもらったし。

だから本当にありがたい。人とのつながりが私の財産なのだと思います。

今後、何か挑戦していかれたいことなどありますか。

周りの人たちからは「色んなことをしていて、何屋さんか分からないよね」とよく言われます。でも、自分の中では全部つながっているんです。

声を使った仕事は、何かを「伝える」仕事。そしてアロマのワークショップも私が持っている知識やノウハウを「伝える」ことがメイン。

「伝わる声で伝えていくこと」が私の使命だと感じています。そのためには、アロマにしても、ナレーションにしても、さらに学びを深めていきたいです。

その道をさらに追求していきたい。

終わらないんですよね。

声の出し方とか、もっと他に方法があるかもしれない。良い声を出せるかもしれない。良い表現をできるようになるかもしれない。日本語の美しい響きをどれだけ伝えていけるのか、ずっと学んでいきたいと思います。

また、私に話し方や声の出し方を教わりたいという方がいてくださるので、その方々に学んだことを還元していきたいです。

そのためにも、自分が現役でしっかり仕事をしていないといけませんね。

あとは、表現の場をさらに広げて、朗読会を定期的に開催したいと思っています。実は11月26日にキャンドルナイト朗読会を開催するんです。キャンドルの作家さんの灯火の中で、どの年代の方が聞いても良いなと思えるような絵本や詩を朗読する予定です。

大人の読み聞かせ会みたいな。

そう、そういう活動もやっていけたらなと思っているところです。

読み聞かせは、震災後に避難所などでやっていたんです。そこで、朗読って、求められているかもしれないというのを感じました。

必要性というか、可能性を感じられた。

はい、可能性を感じましたし、「自分も、やりたいんだな」と思ったんです。絵本を読むことが、すごく楽しいなと思って。

そういう発見もあったんですね。ナレーションとかしていても、朗読の仕事って、あまり無さそうですもんね。

熊本では本当に少ないですね。でも、私の大先輩で定期的に朗読会をされている方がいらっしゃるんですよね。それに福岡で開いている友人もいます。

そういった人たちをお手本にしながら、自分はどういうスタイルでやれるかなと、模索中です。

今度のキャンドル作家さんとのコラボのように、色んなジャンルの方とコラボしていくと、新しいスタイルが確立できるかもしれないですね。

そういった意味では、今、ジェンヌのスタッフとして活動させてもらっているので、いろんな方との出会いがあります。そこで新たに仲間を作って、共に何かを作り上げることをしてみたいなというのはあります。

今までは1人で活動していることが多く、自分が頑張れば何とかなるという仕事のアプローチだったのですが。今後は、ジェンヌの仲間、つながりから、新たな価値を生み出していく、そんなことにも挑戦していきたいです。