コラム インタビュー

情報発信のプロ「肥後ジャーナル 森亮介」インタビュー

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肥後ジャーナル森亮介

熊本人物キュレーション<ビジネス編>


熊本の起業家、事業者、フリーランサーのルーツを紹介し、独立のきっかけ、ビジネスへの想いを紐解きます。

熊本に特化した地域情報ブログ『肥後ジャーナル』。地元のグルメや店舗情報、今熊本で話題のニュースなどを発信されています。そのアクセス数は月間20万PVあるという人気のサイトです。今回は代表の森亮介さんにお話を伺いました。

安定と挑戦の間で揺れ動く


学生のときは公務員になりたいと思っていました。高校は熊工に行ったのですが、それも熊工は公務員の就職率が高いというのを聞いて、家からも近いし、熊工にしました。

では、高校のときは公務員試験を受けられたのですか。

そうですね。一応、受けました。

でも、公務員にはならなかったんですよね。

警察は身体測定があって、色弱だったので、それでダメになりました。あとは東京都の職員だったんですけど、「東京で公務員になったら、一生帰ってこないだろうな」と思いました。一度は都会に出てみたいけど、将来的には地元に帰ってきたいという考えがあったので、公務員ではなく、普通に就職しました。

それで企業に就職された。何系の仕事に就かれたのですか。

設計の会社です。

設計には興味があったのですか。

いや、その当時は何も考えてなかったです。待遇だけで決めました(笑)

入社されてみてどうでしたか。

とにかく図面を書いていたので、「部屋に籠りっぱなしかよ」と思いましたね。

あまり合わないなと。

合わないというのと、若気の至りというか。今考えると幼稚なんですけど、当時勤めていた会社はネクタイしてスーツ着て、身なりをちゃんとしないといけなかったんです。でも高校の友達は工場とかに就職する人が多くて、工場は自由なので、金髪にしている友達もいて、羨ましかったですね。まだ18歳とかだったので。

18とか遊び盛りですよね。

それで、社内では反発ばかりしていて。だんだん「違う仕事が良いのかも」と思うようになってきて、1年くらいで辞めました。そこからはバチっと来る仕事を求めて、洋服屋だったり、飲食店だったり、色々な仕事をやりました。

そのタイミングで熊本に戻られたのですか。

半年くらいは残って、それから熊本に戻りました。結局は自分のしたいことが見つけられなかったので、熊本に帰ってきたところで、「何しよう」となりますよね。それで、考えた末に、学校に行こうと思いました。まとまったお金がなかったので、福岡の季節工のバイトを見つけて、「ちょっと2カ月死んでくる」と言い残して福岡に行きました。

季節工の仕事はハードそうですね。

キツかったですね。何十人も入ってきて、何十人も辞めていくという感じで。それで2カ月頑張ってお金を貯めて熊本に戻って、公務員の学校に入りました。この辺りの時期は人生の絶望だったので、夢を見るんじゃなくて、現実を見ようと。それで予備校に入ったんですけど、そこで60人くらいいて、僕、ビリだったんですよ。みんな高校卒業してすぐとかだったので。

現役と違ってブランクがあるからですね。

それで1年間は死ぬ気でやろうと思って、携帯電話を解約して、ひたすら勉強しました。そうしたら、1回だけ、その中で1番になったんです。周囲から「勉強おしえて」と言われるようになって、合格できるかもしれないというところまで行ったんですよ。

ビリから、すごいですね。

模試の判定でも、全然合格できそうな感じで。でも、結果は第一志望だけ落ちました。携帯とか解約して、すべてを捨てて懸けていたので、いっときは精神的に病みましたね。

第二志望以下に進むことは検討されなかったのですか。

妥協はしたくなかったんですよ、第一志望で完全にヴィジョンができあがっていたので。

それだけ懸けて努力されていたしですね。

それで、また19歳くらいの頃の精神状態に戻ったんですよ。

自分探しをして、色んな仕事に挑戦されていた時代ですね。

また色んな可能性探しに戻りました。ただ、以前と違ったのは、心の奥隅で「自分で何かしたい」と思い始めたんですよ。

公務員からの振れ幅がすごいですね。安定からの不安定。

もう、どうせ安定でダメだったんなら、人生のギャンブルに出ようと思って。公務員でずっと50の道を行くより、100か0かの挑戦をしたほうが楽しいんじゃないか、みたいな。それで、せっかく地元にいるのなら、熊本を何らかしらの形で盛り上げられるようなことがしたいなと思いながら、とりあえず生活しないといけないので働いていました。

そのときはどんなお仕事をされていたのですか。

主に営業の仕事をしていました。飲食店さんとかに納品する仕事だったんですけど、ある日、仕事中に腰をケガして、だんだん車が運転できなくなってきて、病院行ってみたら即入院でした。それがキッカケで退職することになるんですけど、実はその時期には『肥後ジャーナル』を始めていたんです。

最初は働きながらブログを始められたんですね。

最初の数カ月は働きながら、あとは入院しながら、頑張って書いていました。手伝ってくれる人もいて、入院中でも日々更新していましたね。

そして退院してからは、営業の仕事は退職して、『肥後ジャーナル』がメインでやっていくことになるわけですね。

そうです。ここでまた就職したら、中途半端になって、やらなくなると思って。「息の根が止まるまでやってみよう」と。

肥後ジャーナルの構想


『肥後ジャーナル』の構想を思いついたキッカケは何かあるんですか。

最初はそこまでハッキリとした構想が見えていなくて、ずーっと色々考えながら生活していたある日、テレビを観ていたら、地域情報サイト枚方つーしんの紹介をしていて、「これだ!」と思いました。それで、テレビを観た次の日に『肥後ジャーナル』が始まりました。

決めたら即行動というのが素晴らしいです。もともとブログとか、やられていたのですか。

全然やっていませんでした。SNSもとりあえず登録はしているけど、ほとんど書くことはないような感じで。

では始められるにあたって、『枚方つーしん』をベンチマークして勉強された感じですか。

勉強というより、面白いと思って見ていたという感じですけど、今でも参考データとして、枚方つーしんの記事とかをすぐ見られるようにはしています。あとは、とりあえず情報発信を色々してみようという感じで始めました。

あとは実際にやりながらトライ&エラーで磨いていく感じですね。

そうですね、ブログをやるのにお金はかからないし、とりあえず始めてみようと。結構、勢いです。

運営する上でのポリシーや決めているルールのようなものはありますか。

記事広告やバナー広告は募集しているんですけど、広告を出してもらったからといって、書く内容を広告主の良いように変えることはしないということです。内容を充実させるということであって、入り口から「この店、サイコー!」という風には絶対に書きません。そういう風に書いても、結局はリピーターに繋がらないので、意味がないと思うんですよ。

期待を裏切って、逆にお客さんを失うかもしれないですよね。

あと一つは、広告を出していただく企業さんも、熊本にこだわりたいと思っています。肥後ジャーナルは熊本の県民に向けて発信しているので、その地元民に身近な企業さんに広告を出していただきたいです。

『肥後ジャーナル』の今後の展開について教えてください。

今後やっていきたいと思っているのは、不動産情報と求人情報です。不動産は既存の情報媒体を見ても、よく分からないことが多いです。地元の情報を発信する僕らは、普通の人よりも地元のことを色々知っていると思うので、物件を一つの記事広告として書くと、物件を探している人が知りたい情報として紹介できると思うんです。

面白いですね。求人はどんな感じですか。

求人も既存の媒体は枠があってみんな同じようなことが書いてあって、面白くないし、ぶっちゃけたところが分からないし。そうではなくて、求人自体を一つの物語として紹介するということです。ぶっちゃけた質問をしたり、良い面だけでなく、仕事の大変な面も聞いたりする。今の求人の多くは、社名を隠したらどこの求人か分からないと思うんですけど、肥後ジャーナルでは、社名を隠しても「この会社なんだ」と分かるような記事を書きたいですね。

今後も、新規出店のようなタイムリーなものや、色んな方面とのコラボ企画など、面白い情報発信に期待しています。

新規出店に問わず、気になって僕らに調査してみてほしいことがあれば、基本、何でもします。やってみたい企画は山のように頭の中にあるので、協力者を募って、何でもウェルカム精神で地元の情報を発信していきます。

肥後ジャーナル
http://www.higojournal.com/

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聞き上手のプロフェッショナル
クラクラ 編集部 (Who Cares/メディア)
「インタビューは、私たちなりの人への投資です。」

熊本でビジネスや地域活動に挑戦する人にスポットを当て、その生き方や取り組みへの想いを紹介します。熊本で頑張っている人を応援すること、その生き方に触発されて新たな挑戦をする人が増えていくこと、総じて熊本がもっと面白くなっていくことを目標にしています。
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